るすべを らぬ たち

聖節の幻

1.お菓子をくれなきゃいたずらするよ

 冬の薄い夕焼けが藍色に侵食されて、あっという間に夜がやってくる。それを待ちかねたように、家々の玄関に一斉に灯が点った。いつもならば色とりどりの個性豊かなランタンに燈される明かりが、今日だけは皆オレンジ色の光を放っている。
 夕食を終えて暖かな暖炉の前で遊んでいるはずの子供たちは、扉を開け放ち、先を争うように外へと駆け出していく。この日ばかりは、それを咎める大人は誰も居ない。
 家を飛び出した子供たちは、蕪やカボチャをくりぬいたランタンを吊るした家々の扉を叩く。そして元気いっぱいに叫ぶのだ。
「お菓子をくれなきゃ悪戯するよ!」
 そう、今日は一年の始まりを祝う祭りの日だ。

 
 陽が沈んでから一時間、街の真ん中にある広場には大きなかがり火が焚かれ、町全体が昼間とは違った不思議な明るさに包まれている。大通りを練り歩くのは荷車を引いた馬ではなく、急ぎ足ですぎていくひげ面のお役人でもなく。
 歓声を上げながら通りを埋め尽くしているのは魔女や狼男、幽霊にコウモリ、果てはゴブリンやゾンビといった夜の住人たちだ。
 子供たちが目いっぱいに仮装したその群れは、恐怖ではなく笑顔を振りまきながら広場目指して行進していく。
 その中で一際目立つ男が、一人。
 細身の身体を漆黒のタキシードに包み、目にも鮮やかな赤いマントを翻して歩くその頭には、大きなカボチャをくりぬいた被り物をすっぽりと被っている。どこをどう細工したのか、くり抜かれた目の奥には、ちらちらと淡い光が揺れていた。
 カボチャ頭の右手には小さな蕪のランタンが掲げられ、左の腕には山盛りのキャンディがあふれんばかりに入ったかごをぶら下げている。虹色に光るキャンディは、群がる子供たちに配られているらしい。
 カボチャ頭が両腕にぶら下がってくるやんちゃな子供たちをやんわりと制して立ち止まった。真っ赤なマントをひらりと翻した次の瞬間、どこに入っていたのか、何十羽もの真っ白いハトが夜空に向かって飛び立っていく。
「すごーい! ねえねえ、どうやったの?」 
 小さなドラキュラ伯爵が歓声を上げる。屈みこんで視線を合わせたカボチャ頭は、黒々とつりあがった口の前に、しいっと白い手袋に包まれた指を一本立てた。
「内緒だよ、秘密は秘密だから面白いんだ」
 そういってぐっと握ったこぶしを開くと、ぽんと軽い音をたてて子供の背にぴったりの立派な樫のステッキが現れる。
「伯爵閣下にはお似合いのこのステッキを献上しましょう」
 わっと子供から歓声が上がる。僕も私もという声にせがまれるまま魔女の女の子にはローブ留めの小さなブローチ、狼男の少年には満月をかたどった古めかしい首飾りといったように、次々と望むものを出していく様子は、降誕祭の老人をも思わせる。
 その場をひとしきり賑わせたカボチャ頭が、ふと顔を上げた。満足した子供たちにもう一つずつキャンディを握らせてから、軽い足取りで輪を離れる。
 彼が向かった先は、大きな枝の張り出した木の影で少し薄暗くなった道の端だった。ふわふわの衣装に身を包んだ5歳くらいの少女が一人、困ったように首を傾げている。
 女の子が見上げているのは、ぼろぼろの布きれのような服をきた一人の男だった。夜目に沈んだ青白い表情は、幽鬼のように覇気がない。
「やあ、かわいい妖精さん。キャンディはいかがかな?」
 カボチャ頭の男が少女の前にしゃがみこんで視線を合わせる。
「こんばんは、カボチャのおじちゃん。でもダメよ、お菓子はねだられなきゃ出しちゃいけないのよ!」
 佇む男から注意をそらした女の子が、腰に手を当てませた口調で答えた。
「おや、これは失礼」
 カボチャ頭は笑って頭を下げる。
「ねえ、カボチャのおじさん。この人お腹痛いのかな? 私がお菓子頂戴ってお願いしてもお返事してくれないの」
 少女が困ったように訴えるのに応えて、カボチャ頭は男に視線を向けた。男はその目の奥に揺れる光におびえたようにふいと顔をそらす。カボチャ頭の、動かないはずのくり抜きの両眼が、一瞬剣呑に細められたかのように揺らいだ。けれどその鋭い表情も瞬く間に消えうせ、少女に向き直った時にはもう元の穏やかな雰囲気しか感じさせない。
「お嬢ちゃん、残念なことに彼はお菓子を持っていないらしいんだ。かわいい君に話しかけられてびっくりしてしまったんだろうね。どうだろう、私が奮発するからイタズラも許してあげてくれないかい?」 
 その言葉に小首を傾げた考え込んでいた少女が、まあいいわ、と鷹揚に頷いた。
「おなかが痛くないなら大丈夫ね。せっかくのお祭りだけど、イタズラも許してあげる。代わりに何をくれるのかしら?」
 カボチャ頭は、仰せのままにと一つ礼をしてぱちんと指を鳴らした。女の子の持っていた、何の変哲もないおもちゃの杖の先端の飾りが、星に変わったようにきらきらと輝きだす。一振りすれば、それは流れ星のように金色の尾を引いた。
「まずはかわいい妖精に相応しい魔法の杖を」
 カボチャ頭がそういって、優しく笑った――ように見えた。それからぱちぱちと瞬く女の子の前に飴のかごを掲げて、神妙な口調でお伺いを立てる。
「それから、こっちは不思議な飴でね。本物の魔女の魔法がかかってる。これを食べて寝れば、素敵な夢が見られるんだ。――君は、どんな夢がみたい?」
 籠を覗き込んでいた少女は、つられたように真剣な顔つきになってカボチャ頭を見上げた。
「あのね、私ね、パパにあいたい! 私のパパ、春に病気で死んじゃったの。だからパパの出てくる夢が見たいの! ねえ、パパにこの衣装見せたら、かわいいって言ってだっこしてくれるかな?」
「だったらこの飴だ」
 ぱちんと再び指が鳴り、籠の中から一粒の飴がふわりと浮き上がった。虹色に輝く不思議な飴だ。
「これを食べて寝ればいい。きっとパパに逢えるよ」
「ありがとう!」
 すとんと手のひらに飛び込んできた飴玉を握り締めて、少女は破顔した。
「さあ、そろそろ広場に向かわないとお祭りを見逃してしまうよ」
 カボチャ頭が指す広場の方は、なるほどかがり火に照らされた夜空が明々と色づいている。
「ねえおじさん」
 頷いて走りだしかけた少女が、ふと足を止めて振り返った。
「おじさんは、だあれ?」
 笑いの形にくり抜かれた口元に指を当てた男は、やんわりと答えた。
「カボチャのお化けに名前はないのさ」
 さあ早くお行きとせかされて、少女は今度こそ駆け出して行った。
 それを見送ったカボチャ頭は、ゆっくりと木の下を振り返った。その瞳に宿る光が剣呑な光を帯び、ボロ布の男がひるんだように後すざった。
「さて、あんたについてだが」
 おののく男の顔は、白を通り越して土気色に近い。ふん、と鼻を鳴らしたカボチャ頭が、左手の籠を掲げた。
「個人的にはさっさとご退場願いたいところだが――お嬢ちゃんの希望にはあんたが必要でね。あんたには特別にこっちの飴をくれてやる。それで娘さんの夢に繋がるから、朝になったらきちんと行くべき場所へ向かうんだ。魔女特製の導きの飴だ。これ以上道草食うんじゃないぜ」
 銀色に光る包みが一つ、すうと宙を泳いで男の手に飛び込んだ。カボチャ頭と手の中の包みとを見比べた幽鬼の顔が小さく動く。それを読み取って、カボチャ頭はうっそりと笑った。
「さあな。行くべき場所をなくした、哀れな道化には違いないさ」
 こんな姿にはなりたくないだろう、と呟いて、カボチャ頭はもう後も見ずに歩き出していた。