るすべを らぬ たち

聖節の幻

2.丘の上の魔女の家

 祭りの夜に月が昇った。街の中は煌々とかがり火に照らされ、その青白い光に目を向ける者はいない。けれど、街から一歩離れればそこは静かな闇に包まれている。
 祭りの声が風に乗って微かに届く街外れの丘の上に、一軒のあばら家が建っていた。屋根は平たく傾ぎ、壁も扉も朽ちかけてささくれだっている。野ざらしになった廃屋、というのが一見しての印象としては一番近いだろうか。けれど、埃に曇った窓には確かに、ろうそくの瞬きがぼんやりと映っていた。
 少しの風にさえ不気味な軋みをあげるそのあばら家の中では、背の曲がった老婆がひとり、祭りなど知らぬ風情で暖炉にかかった大鍋をゆっくりとかき回している。
 くつくつと、鍋の中身が煮える音だけが規則正しく響く部屋の中で、老婆がふと顔をあげた。柱にかけられた、とうの昔にゼンマイの切れた古ぼけた振り子時計を見上げ、彼女の眉が小さくひそめられる。
 次の瞬間、今にも崩れ落ちそうな壁を支えている黒ずんだ扉が軽く叩かれた。
「あいてるよ」
 家主の応えに、扉が軋みをあげて引き開けられる。
「なんだい、お早いお帰りだね。まだ宵の口じゃないか」
 すでに鍋に向き直っていた老婆が背中で問う相手は、黒いタキシードに赤いマントを翻し、オレンジ色のカボチャを頭に乗せた、あの男だった。
 暖炉に屈みこむ家主に一瞥をくれて、男は近くのテーブルに歩み寄った。半分蓋の開いたインク壜や羽ペン、中途半端に丸まった分厚い羊皮紙などが雑多に並べられた隙間に、空の籠をポンとおく。
「配る分が無くなったから取りに来ただけだ」
 不機嫌な色を帯びた低い声音に、老婆が重い腰を上げた。曲がった背に片手をあて、ひょこひょこと危なげな足取りでテーブルをぐるりと回り、籠を覗き込む。
「おやまあ、本当だ。あんまり帰りが早いから、あたしゃてっきり、子どもに嫌われて泣いて戻ったのかと思ったよ」
「あいにく子供には人気でね。この顔は受けがいいんだ――どこぞの誰かと違って」
 老婆の皺だらけの顔は、淡いろうそくの炎の作る陰影のためか、悪鬼のような形相にも見える。それを軽く揶揄した男は、自分の動かない顔をつるりと撫でた。
「なんだい失礼だね。あたしはこれでも村の男どもには人気なんだよ。それに、子供たちのお目当てはあんたじゃなくてその籠の中身、つまりはあたしお手製の飴玉なんだからね」
 無礼を吐いた男を咎めるべく、老婆は背を伸ばして両手を腰に当てた。けれどその目に怒りはない。
「だった、だろうが。過去の栄華まで否定する気はないが、誤解を招く言い方はよせ」
 こちらも笑いを含んだ声音で応じながら、男は白い布地に包まれた指先でトンと籠をついた。
「ついでに言えば、子供たち、いや“みんな”のお待ちかねはあんた特製の魔法の飴玉だ。分かってるならさっさと準備しろ」
「呆れるくらい口が良く回るね、あんたも。そんだけ口が達者なら、いっそおだてておいてくれたらいいのに」
 老婆がため息をつくのに、男は呆れたように肩をすくめる。
「煽ててなにか見返りでもあるのか?」
「ほらそこだ。ずげずげ言うのも結構だけどね、あんたいつかその口で災いを呼び込むよ」
 その言葉に、カボチャ頭の瞳がゆらりと揺らいだ。
「おばばよ、私は誰だ?」
 その問いに、老婆は瞬間しわに埋もれた両目を見開き、それから己の失言に気付いて声を立てて笑った。
「そうだねえ、そうだった! ああ、あたしが馬鹿だったよ! 天国の番人さえ言いくるめて、挙句の果てに追い返されたのがあんただったね! あんたの口が災いを呼び込むのは今に始まったことじゃなかったよ」
 可笑しくてたまらないというように目尻にたまった涙を拭う老婆に、カボチャ頭がニヤリ――と笑ったように見えた。
「さあて、これ以上待たせても悪いからね。とっておきの飴玉を出してこようじゃないか」
 笑い収めた老婆はテーブルから離れ、ひょこりひょこりと壁に向かって歩いていく。そこには一面を覆う巨大な引き出しがずらりと並び、こちらを威圧するようだ。それに臆することもなく近づく主を待ちかねるように、その中の一つがカタカタと音を立て始めた。
 老婆が枯れ木のような細い腕を持ち上げると、一際大きなその引き出しがひとりでにするするとせり出してくる。
 開いた瞬間、縁からあふれるように姿を見せたのは、男が持つ籠に盛られていたのと同じ色とりどりの飴玉の包みだった。床に零れ落ちることもなく、跳ねる魚のように、親の運ぶえさをねだる雛鳥のように、かわるがわるにその姿を覗かせている。包み紙のこすれあう音が、さながら小雨のごとく響く。
「はいはい、お待ちよあんたたち」
 それをなだめるように魔女が手をかざす。
「順番だよ順番。ほら、押すんじゃない」
 壁際にたどり着き、ざわざわと波打つ飴玉の群れを覗き込んだ彼女は、おやと呟いて顔を上げた。
「嫌だねえ、あたしも耄碌したもんだ。籠を忘れちゃ入れようがないじゃないか」
 カボチャ頭を振り返って首を二度三度と振るのは照れ隠しのつもりだろうか。
 彼女が骨ばった指をちょいと動かすと、今度は男の手の下から空の籠がすいと飛んだ。
「あんたたち、仕事だよ」
 掲げられた籠に、七色の飴玉が我先にと飛び込んでいく。空中でぶつかって喧嘩を始めるものや、勢い余って零れ落ちそうになるのを魔女が叱っているうちに、いつのまにか籠はいっぱいになった。
「はいよ、お待ちどうさま。丘の魔女特製の夢の飴玉だよ。一口食べれば素敵な夢の世界へご案内! この世で迷ってるやつらには、あの世への道しるべにさえなる優れもんだ。まあ、悪霊退治にゃ効かないがね」
 老婆は、辻で店を開いた行商人のような大げさな身振りと口調で籠を掲げ、それから、呆れたようにこちらを眺めているカボチャ頭に向かって押しやった。
 再び空を飛んで、ずいと目の前に突き出された籠に、男が軽くのけぞった。こんもりと盛られた飴の山が、先ほどはあれだけびちびちと跳ねていた塊が、かなり手荒くゆすられているのに全く動く気配すらないのがいっそ不気味だ。
「おばばよ。それを私に言ってどうする。宣伝したいなら自分で配って来い。そこまで口が回るなら十分だ」
 視界をふさぐ形で静止した籠をぐいとテーブルに押し付けて、彼はため息をついた。そっと手をはずしちらりと視線を落としても、鎮座した籠はもう動かない。
「何いってんだい。あたしが行ったら売れるもんも売れない、そういったのはどこのどいつだよ」
 どこか拗ねたような声音に男が視線を上げると、腕を振って引き出しを閉めた魔女がひょこひょこと戻ってくるところだった。
「それにね、あたしとの契約だろう? あたしが作る、あんたが配る。一年に一度のお祭りの夜の大仕事さ」
 忘れたのかい、と睨んでくる視線にカボチャ頭はうっそりと笑ったようだった。
「忘れちゃいないさ。だからこうして足りなくなったら戻ってきただろう?」
 よっこらしょと椅子に腰掛けた魔女は、少女のような仕草で頬杖をつき、男を見上げる。そして皺のある顔の、さらに皺を深くするように顔をしかめた。
「去年も一昨年も、その籠一杯で足りたんだけどね。子供の数がそうそうかわるわけもなし――。嫌な世の中になったもんだ」
「仕方ないさ。あちらもこちらも戦争と死体の山だ。――さて、契約分はしっかり働いてこよう」
 怖い魔女に魔法をかけられてはたまらない、と冗談を呟いて、ゆらりと双眸の炎を瞬かせた男が、籠を持ち上げる。
「がんばっといで。働き者には美味しい食事を用意しておくからさ」
「それは――あの鍋の中身か?」
 扉に向かいかけた身体の動きを止めた男は、暖炉でぐつぐつと音を立てる大鍋をぎこちなく指した。
「そうだよ、あたしの手料理だ」
「ちなみに問うが、何の料理だ?」
「今日は何の日だい、決まってるじゃないか。カボチャのスープだよ」
 魔女がにんまりと笑う。
「それは――結構」
 一瞬詰まった声を取り繕ったカボチャ頭は、向きを変えて扉に手をかけた。それを追うように老婆が声をかける。
「そうだ、どこかにジャックがうろついてるはずだから、見かけたら一緒に帰っておいで」
 返事の代わりに片手を挙げた男の姿が扉の外に消えると同時に、動かないはずの柱時計がボォンと時を告げた。

 祭りの夜は過ぎていく。

 
 

1<<