るすべを らぬ たち

聖節の幻

5.ジャック・オ・ランタンの微笑み

 気の早い雄鶏がとうの昔に朝を告げ終わり、太陽が顔を覗かせる直前の空は、夜の気配を拭い去る澄んだ青色に染まっている。
 祭りの夜は過ぎ、人々は一晩中燃え盛っていた炎を手にして各々の家路につく。その火種から起こした火でかまどや暖炉を清め、新年を迎えるのだ。年に一度の里帰りを終えた祖先の霊たちもすでに去り、大通りはようやく静けさを取り戻しつつある。
 白んできた空に、丘の上の魔女の家がくっきりと浮かび上がった。丘を巻くように伸びる白砂の細道を、その傾いた家に向かってのんびりと歩く影が二つ。
 カボチャ男の右手には相変わらず蕪のランタンが握られているが、左手にあるのは籠ではなく小さな四角いランタンだ。その中で静かに燃えているオレンジ色の炎は、清めの炎の種だろうか。
 その足元を、空の籠をくわえた黒猫のジャックが少しよろけながら歩いている。
 家に続く最後の曲がり角を過ぎたところで、ジャックが残り一息を一気に駆け上がった。のんびりと歩調を変えないウィルを一度振り返ってから、ぼろぼろの扉を爪で引っかく。
 ノック代わりの合図を受けて、扉が軋みを上げて開かれた。
 長い裾を引きずった黒服の魔女が、上る朝日に目を細めながら姿を見せた。ジャックはその足元をすり抜けて家の中に走りこむ。
「お帰り、思ったより遅かったねえ」
ウィルを見下ろしたマジョが微笑みを浮かべ、扉をいっぱいに開く。
「なかなか片付かなくてな、ほら、おばば、新年の火だ」
 最後の坂を登りきり扉の前に立った男は魔女に左手のランタンを渡し、朝日に少しくすんで見える赤いマントを翻して家に入った。
「ありがとよ、これでうちも新年が迎えられる」
 扉を閉めてテーブルに向かった魔女は、ランタンの火をロウソクに移す。それはさらに綺麗に掃除された暖炉の薪に移され、白い煙が少しの間くすぶった後、赤い炎となって勢いよく立ち上った。
「さて、疲れてお腹がすいてるだろ? 今鍋を暖めるから待っといで」
「その中身がカボチャスープならいらん」
「え、カボチャなら俺もヤダ。ばあちゃん、牛乳がいい!」
 大鍋を火にかけようとした魔女の背中にウィルが声をかけた。行儀悪く机の上に寝そべっていた黒猫も、頭を起こして注文をつける。
 鍋の取っ手から手を離した老婆は、これ見よがしにため息をついた。
「なんだいあんたたち、そろいも揃って。このあたしが折角、腕によりをかけて作って待ってたっていうのにさ!」
「カボチャ相手にカボチャを食べろと言うほうが無茶だろうが」
 鼻を鳴らして答えたウィルは、ぞんざいな仕草で椅子に腰掛け足を組んだ。
「作り甲斐のない男どもだこと! まあいいさ、あたしだけでも食べるよ。折角作ったんだからね」
 肩をそびやかした魔女は、大鍋を火にかけてから腕を振った。食器棚から木杯と平皿が飛び出し、それぞれの前に鎮座する。
「ジャックは牛乳でいいんだね? ウィルは、こっちかね」
 大鍋の変わりに暖炉の隅からブリキの水差しを二つ持ち上げた魔女は、テーブルにつく男たちの元にゆっくりと戻る。
 平皿には程よく温まった牛乳が、木杯には仄かに湯気を立ち上らせるワインが注がれる。
「おばばも飲め」
「そうだね少しもらおうか」
 魔女の声に応じて杯がもう一つ宙を飛び、差し出されたそれにウィルがワインを満たす。
「今年も、お疲れ様。無事で何よりだよ」
 魔女が杯を掲げ、男が応じる。少しの間視線を交わした後、二人は杯を空けた。
 その間に皿の牛乳を嘗め尽くした黒猫が満足げなあくびをもらす。
「それにしても今年は忙しかったんだろうね。飴があんなに早い時間になくなるなんて、ここ何年もなかったじゃないか」
「死者も悪鬼も多かったな。地獄の釜の蓋が壊れた話は聞いてないが、あちらこちらで戦争と飢え、それからはやり病だ。流れた血が道を作っても、不思議じゃない」
 ウィルは干した杯を置いて一端言葉を切り、傍らで丸くなったジャックに視線を落とした。
「が、私が忙しくなったのはそこの黒猫が仕事をサボったせいだ。おかげで絡んでくる悪鬼を片付ける羽目になった」
「おや、それは大変だったろう。ジャックは困った子だね」
「何だよ、ちゃんと仕事はしただろう! お前だって大通りいっぱいの悪霊の相手。俺一人に押し付けたくせに!」 
 ジャックが顔を上げて抗議するが、それは、当然だろうというウィルの冷たい一言で片付けられる。
「そんなに雑霊があふれてるなら、ジャックには今日も見回りを頼まないといけないかね。祭りが終わったからって素直に引き上げてくれるようなのばかりじゃないもの」
 魔女も真顔で追い討ちをかけ、黒猫はガクリとうなだれた。
「それにしても昨日の数は異常だったな。来年も同じようならば、どこかしらに被害が出かねんな。死者ならともかく、生者に手をだされるとコトだぞ」
「そうだウィル、あの子! あの子は大丈夫だったのか? ホラ、お前が連れてった男の子!」
 勢いよく跳ね起きたジャックの言葉に、ウィルはつかの間沈黙し、それから呆れたようにため息をつく。
「どうでもいいが、あの子は死者だ。そこを分かった上での質問だろうな?」
「え、あれ? あー……?」
 きょとんと瞬いた黒猫が首を傾げて唸るのを、男は冷ややかに見つめた。
「あの子、死んでた?」
「死者だ。あの時間に生きた子供が一人でふらふら歩いているのがどれだけ不自然かわからんのか」
 尚も唸るジャックを見やりふっと息をつくように笑ったカボチャ頭は、手を伸ばしてその頭を撫でてやる。
「まあ、どちらだろうが、私が送っていったんだ。間違いなく親元へ帰しておいたから安心しろ」
 ネコらしく反射的に喉を鳴らして目を細めた後、ジャックは心底安心したように良かったと呟いた。
「なんだ、そんな小さな子供まで還ってきてるのかい。昔はそれだって一人だけはぐれるようなことはなかったけど、最近はそうでもないのかね?」
「いや。あれは特殊な例だろう。流行り病かそれとも何かの事件に巻き込まれたか、家族全員が亡くなっていた。戻ってきたはいいものの迎え火はない。上の息子が道中はぐれたのには気付いていたらしいが、魔除けのまじないすらない廃屋で、押し寄せてくる悪鬼からほかの子供を守るだけで精一杯。とてもじゃないがはぐれた一人を探しにいけないと、途方にくれていた最中だったぞ」
 今度は魔女が顔を顰める番だった。それを意に介した風もなく、ウィルは淡々と言葉を継ぐ。
「心配ない。雑魚は追い払った。それからおばば、迎え火をたいてくれる者がいなくとも、来年もこの街に帰ってきたいとさ。だから来年、お前が忘れずに一つランタンを吊るしてやっておいてくれ。それなら迷わずこの街の入り口まで帰ってこれる」
 その声に応じるように、男の襟元から一つ小さな光の珠が飛び出した。伺いを立てるかのように周りを飛ぶそれに、魔女が目を細めて破顔した。
「おやおや、それは責任重大だ。耄碌なんかしちゃいられないね。ジャックも、ちゃんと覚えておいておくれ」
 光の珠を大事に手のひらに包み込み、席を立った魔女はゆったりとした足取りで壁の引き出しに向かう。一番小さな引き出しを覗き込み、そこに手の中の光を離した。
「いいかい、ここで来年までゆっくり休むんだよ。ちゃんと大事な人を導けるようにね」
 言い聞かせるように話しかけてから引き出しを閉めた魔女は、指を伸ばして別の棚を叩く。天井に近い大きな引き出しが一つ、音もなくせり出した。
「さて、今年も忘れずにお祝いだ。これを食べなきゃ年を越した気にならないからね」
 その中からふわりと浮き上がったのは、干しぶどうを混ぜ込んで硬く焼き上げたケーキだった。死者たちに捧げる食べ物のおすそ分けの意味を持つ、四角いケーキだ。
 準備よく切り分けられていたそれらが皿とフォークを伴って飛び、行儀よく机に並ぶ。
「魔女特製のケーキだよ。これを食べたら一年病気知らず間違いなしさ」
「ジャック、私のもやる」
 目を輝かせて皿を覗き込んだ黒猫のほうに、ウィルはあっさりと自分の皿を押しやった。
「え、マジ? いいの?」
「どの道、私に食事は不要だからな。遠慮なく食え」
 やったと喜ぶジャックとは対照的に、席に戻った魔女は眉根をよせてあからさまにため息をついた。
「そういうのはせめて作り手に聞こえないようにやっとくれ。形だけでも口をつけるとか、気遣いはないのかねぇ? 女性に対する礼儀がまるでなっちゃいないんだから」
「聞こえても聞こえなくても結果は同じだ。そもそも私が食べないことくらい承知の上だろうが」
「せめてありがとうの一言ぐらい言ったらどうだい? それで十分なんだよあたしは」
「外面のよさは夜のうちに使い切った。が、どうしてもというなら聞かせてやらんでない」
 横柄に足を組み椅子の背に身体を預けた男の物言いに、魔女が先に折れた。
「ああもう、分かった、分かったよ。頼んだあたしがバカだった。ほんとに、何でこんな男と組んじまったのかねえ」
「それは五十年前の自分に訊け」
「そうか、もうそんなに経つんだね……」
 肩をすくめた魔女に、カボチャ頭が苦笑をにじませる。
「私にとっては僅かな時間だがな、人の生から数えれば確かに長い」
 ウィルの白い指先が、机の上の小さな清めのランタンをつつく。静かに燃え続ける炎が、僅かに揺らいだ。
「あたしも年を取ったしね。ずいぶん変わったよ」
 魔女がその光に両手をかざし、小さくわらった。手には相応の皺が刻まれている。
「娘だった頃を知ってる人間もそう何人もいないだろうね。あと二十年もすれば、皆わすれちまうさ。それまでにお迎えだって来るだろうさ」
「そうか? 変わったようには思わないがな」
 からかっているのかと顔をしかめた老婆に対し、男の口調はあくまで本気だ。
「昔からお前はちっとも変わっていないよ。魔女になったあの日からずっと同じだ。少しくらいは変わるかと思っていたんだが、な」
「やだね、おだてても何も出ないよ」
 魔女は少女のように頬を染めて笑った。
「この私が褒めてるんだ、誇りに思っておけ。なんなら一つくらい、願い事を聞いてやってもいいぞ」
「あんたがなんの打算もなく褒めるなんて、ああ怖い。そうやって騙した女がどれだけいることやら。でも、そうだね――」
 言葉を切り頬に手を添えた彼女が、一転して真剣な表情で目の前の男を見据える。
「最後まで、ちゃんとあたしの傍に居ておくれ。傍に居て、あたしのやることをちゃんと手伝っておくれ」
 魔女の顔を見返したカボチャの瞳が揺れる。生身の顔ならば、笑ったのだろう。
「大丈夫だ心配するな。そんなに念を押さなくてもちゃんと約束は守るさ。あの時も、そう言っただろう。最後まで、お前が死ぬまで、ちゃんと傍に居てやるさ」
 言って、男は老婆の皺だらけの手を取り、口付けをするかのように恭しく持ち上げて口元へ近づける。それから、呆れたように肩をすくめた。
「まったく、昔と同じコトを言いやがる。誓いも契約も破らないからいい加減納得しろ」
「あんたの答えも同じで安心したよ。なに、あたしがくたばるまでもうそんなにかかりゃしないさ。あのときだって、長くて百年って言ったじゃないか」
 取り戻した右手を左手で大事そうに包み込んだ魔女が、笑いを含んだ表情で応じる。
「あんたにとってなら、三十年なんてあっという間だろう?」
「ああ、あっという間だ。だから三十年が五十年になっても構わん。ちゃんとお前の案内まで勘定にいれてるさ」
 そうして、僅かな間見つめあった二人は、同時に笑い出した。
 動かない柱時計が、ボン、と時を告げた。
 埃を被った窓ガラス越しに、太陽の光が差し込んでいる。もう朝と呼ぶには遅く、祭りの名残を残した人々も起き出している頃だろう。
 二人分の固焼きケーキを平らげた黒猫が大きなあくびを一つして、魔女の膝の上に丸くなる。
「さて、いい加減に祭りの幻は失せる時間だな」
 窓の外を一瞥した男が呟く。釣られた魔女も視線を動かしてから頷いた。
「そうだね、名残惜しいけどさ」
「前みたいに起こすなよ?」
「さあ、何もなきゃ起こさないさ。ゆっくり眠れるように神様にお祈りでもするかい?」
「勘弁してくれ。夢見が悪くなりそうだ」
 男が。己のカボチャ頭に両手を添えた。被り物を脱ぐように何気ない手付きで、一気に上に持ち上げる。けれど、その下に人の顔が現れることはなかった。
 文字通り首のない身体が、何事もないかのようにオレンジ色のカボチャを机の上に置く。
「お休み、ウィル」
「ああお休み、マリア」
 驚くことなく見つめた魔女が微笑むのに、机の上のカボチャが全く変わらぬ声で応じた。そうして、男の右手が蕪のランタンに添えられる。
 彼の両眼の炎が一際大きく揺らめき、次の瞬間ふっと掻き消えた。眼窩の奥が暗闇に飲み込まれたのと同時に、両の手が、それに続く腕が、肩が、身体が、空気が抜けていくかのようにくたくたとしぼんでいく。
 瞬く間に男だった形は、ただの服として椅子の上に折り重なった。
 そこにはもう、カボチャを被った男は居ない。
「お休みウィル。お休み、愛しいウィル・オ・ウィスプ」
 光が消え、ただの飾り物となったカボチャの顔を、聖母の名を持つ魔女が撫でる。
 彼女の膝の上では、黒猫が寝息を立てている。
 ボン、と、もう一度時計が鳴った。

 丘の上の魔女の家、一人と一匹、それからゆらりと瞬く蕪のランタンの炎が、静かに遅い眠りにつこうとしている。