るすべを らぬ たち

魔の火種

1.遅れて来た招待状(1)

 オレンジ色の光が一つ、瞬きながら動いている。昼なお暗い森の、それも真夜中にその人工的な輝きはひどく不似合いだ。
 フードつきの外套を羽織り、膨らんだ鞄を肩からさげ、小ぶりのランタンを一つ掲げた少女が一人森の中を歩いている。一色に塗りつぶされた世界の中で、ランタンが投げかける小さな光の輪の中だけが彼女が辛うじて視界を確保できる空間だ。どこから何が飛び出してくるかも分からない状況ゆえか、少女の唇は固く引き結ばれ、大きな双眸はせわしなく辺りを見回している。
 闇に沈んだ木の枝に時折行く手をさえぎられながらも、ランタンを掲げる少女はその歩みを止めようとはしない。
 森に棲む住人たちが、侵入者を威嚇するようにけたたましく啼いた。それだけではこと足らず、わざと羽音を立てて少女の耳元ギリギリを掠め飛んでいくものも居る。それには少女も首をすくめ、足を止めた。
「さすがに歓迎されてないみたいね。それにしても手荒だこと」
 掠めた羽に叩かれて痛む頬をなでた少女は、どこか呆れたように呟いた。闇の奥から挑発するように啼き声が応じる。
「自分で呼んでおいて礼儀がなってないわ。それとも、これも試験のうち?」
 ぐるりと取り巻く音に臆した様子も見せず、彼女は腰に手を当て肩をそびやかした。
 そのまま周囲を睨みつけながら左手を胸元のポケットに突っ込み、指先の感触で硬い手触りの神を引っ張り出す。ランタンの光に映し出されたのは、封蝋まで押されたひどく時代がかった茶色い封筒だった。
「この手紙を受け取られた皆様へ」
 少女の唇が封筒の中身である書面を読み上げる。
「このたび、私、森の魔女は後継者を育成することといたしました。当方にて独自の事前調査を行わせていただき、合格とされた皆様宛に案内を送付させていただいております。参加に義務はございませんが、我こそはと思われる方は是非この手紙を持参の上当屋敷までおいで下さい」
 格式ばった外見とは対照的に、そこに綴られている内容は芝居小屋の呼び込みのように現実味のないものだっだ。
「こちらの指定いたします期日までに当屋敷へおいでいただければ試験参加とみなします。夜明けまでにおいでになられなかった場合は自動的に失格となります。また、ご参加される際怪我、落命等危険の一切について保障いたしませんので、その旨ご了承の上ご参加くださいますよう、よろしくお願いいたします」
 か細い光でも文面を読み上げられるのは、それが届いてから今までに何度となく目を通したせいでほとんど暗記してしまっているからだ。
「期日前日の朝届くなんて、いい根性してるわよね」
 反射的に握りつぶしそうになっている左手の指から意識して力を抜きつつ、少女は苦々しく呟いた。
 子供の悪戯でさえもう少し信憑性の持てる文面を考えてくるのではないかという人をなめた内容だが、子供の背丈を越える大きなカラスを運び手にするほど手が込むことはあるまい。まして、そのカラスにまっすぐ魔女の森の方向へと飛び去らせる細かい芸まで仕込んでまで騙すことに意義を見出す者がいるとも思えない。
 その手紙が本物であるという証拠に、案内に同封されていた地図は森に一歩足を踏み入れたとたん溶けるように消えうせた。そんな細工は差出人が魔女でなければ到底不可能だ。
 魔女がどれだけの人間にこのふざけた手紙を送りつけたのかは知る由もないが、少なくともここに一人、それを信じ試験を受けるために乗り込んだものが居る。もう幾人かは同じように魔女の屋敷を目指しているだろう。すでに試験は始まっていると考えるべきかもしれない。
「まあいいわ。夜が明けるまでにたどり着ければいいんだから」
 手紙を元通り折りたたんでポケットにしまった少女は、再びランタンを掲げなおす。
 地図自体は消えてしまったが、その中に記された道筋といくつかの目印は記録にとってある。地図を信用していいのならば、もう道のりの半ばはすぎているはずだ。
 森の入り口にたどり着いたのが陽が沈む直前で、梢の隙間から見える月や星の動きから考えて、今はちょうど真夜中を過ぎたあたりの時刻であるはずだった。このまま順調に進みさえすれば、なんとか間に合うだろう。
 臆する様子も見せず前方の闇を睨みすえた少女は、迷いのない足取りで再び歩き始めた。


 
 ガサ、と揺れた茂みに眠りを妨げられた一羽の鳥が、不平をもらしながら飛び立った。羽音と葉擦れの音とが連鎖を生み、叩き起こされたほかの鳥たちもが闇雲にあたりを飛び回るけたたましい騒音が、夜の静けさを切り裂いた。
 少女はとっさに耳をふさいでうずくまり、真横を掠めとんだ羽根の強打を回避する。そのまま木の陰に身を寄せた。
「うわ、びっくりした」
 最後の一羽が、なんとか元のねぐらにたどり着いた頃、ようやく身を起こした騒ぎの根源を作り出した少女は、鳥たちこそが言いたいであろう言葉を呟いた。
 額に薄く浮いた汗を拭った少女は、ランタンを掲げて辺りを見回し、直後顔をしかめた。
 彼女の視線の先、淡い光の中で、枝に結ばれた細い紐が一本暢気に揺れている。
 それは、万一道に迷ったときのためにと彼女が森の入り口から定期的に結び付けておいた目印の一本だった。最後に結んだ紐の色とは違うことから、ある程度の距離を戻ってきてしまったらしいことだけは確かだ。
「何となくおかしいとは思ってたけど……。磁石は使えない、あるハズの道は見つからない。これくらい乗り越えろってコトなんでしょうけど。困ったわ、お手上げね……」
 固く結ばれた紐の端を引っ張った少女は、ため息混じりに呟いて天を仰いだ。ほんの僅かに見える夜空の星の位置は、無常にも動き続けている。刻限に間に合わせるには、相当急がなければならないようだ。
 茂みを潜り抜けた際に服に付いた枯葉を叩き落しながら、少女は頼りに鳴らない磁石を睨みつける。それは北を示すことなく、右回りに左回りにと気ままに動き続けていた。
 磁石の具合がおかしくなったのは、地図に示されたはずの道が突然藪に阻まれたときだった。迂回路を探そうと引っ張り出して、使い物にならないことを知った。結局に闇雲に歩き回り、なんとか茂みを掻き分けてたどり着いたのがこの場所だったというわけだ。
 目印を追って行けば最悪でも迷う直前の場所までなら戻ることも可能だが、その先に正しい道が見つかるかどうかの保証はない。
 舌打ちした少女は、つかの間唇を噛んだ後それでももう一度小道を進み始めた。
 けれど、いくらも行かないうちにその足は止まった。目の前には同じような幅の小道が三叉に伸びている。彼女の記憶にはそんな別れ道は存在しない。先ほどの目印の場所から一本道を歩いてきたはずなのに、出くわしたのは知らない道だった。
「何これ、まさか、道が動いてる、とか……?」
 笑おうとして失敗した少女は、顔を引き攣らせて先の闇を見つめた。
 ここが本当に魔女の森と呼ばれる場所で、魔女がそれを統べているのならば、それはもう魔女の庭先と同義だろう。であるならば、道も木も、思うがままに動かせて当然と考えるべきなのだろうか。
「参ったわね、これは完全に迷ったわ…・・・」
 目印の紐にすら信頼を置けなくなったことに気づいて、知らず恐怖に肩を震わせた少女は、けれど直ぐに顔を上げた。
「いいわよ、行ってやろうじゃないの!」
 少女の瞳にはまだ、余裕の色彩が宿っている。