るすべを らぬ たち

魔の火種

2.地下書庫の主にお願い(2)


 静かに開いた扉の向こうは、おそらくは客間となっているのだろう広い空間だった。 先着らしき数人の少女が、お茶を飲んだり、壁に飾られた絵画を眺めたりしながら時間を過ごしている。
 扉の開いた気配に気付いたものたちが、一斉にこちらを振り返る。視線を集めた形になった少女は、言葉を捜して視線を彷徨わせた。
「もう来ないと思っていたけれど、待ってみるものね。さあ、こっちへどうぞ、夜明けの刻限にはまだ間に合ってるわ」
 それを救ったのは、椅子に座っていた女性だった。立ち上がり、少女を差し招く。
 若いとはいえない年齢だろうが、その女性は十分に美しく、すらりとした肢体に何ともいえない妖艶さを纏っていた。
 女性の言葉とほぼ同時、どこからともなく時計が時を告げる低い音が響く。
「さあ、これで刻限がきたわ。おめでとう、今ここにいる皆さんが一次試験の合格者となります。これから、私の後継者にふさわしいかどうか、じっくりと試させてもらうことになります」
 魔女といえば腰の曲がった老婆を想像していた少女は、目を丸くしてその女性を見つめた。金色の長い髪をなびかせ、落ち着いた色合いの、けれど豪奢なドレスに身を包んだ女性は、屋敷の女主人にふさわしい威厳と風格を纏っていた。
 魔女が手を振ると少女の背後で扉が閉じた。
 さあ、という仕草で振り向いた魔女に応えるように、先着の少女たちが立ち上がる。
「ひい、ふう、みい……。まあ、六人も。思ったよりも集まってくれたみたいで光栄だわ」
 にこりと艶やかに笑みを浮かべた魔女は、それを崩さぬまま優雅な仕草で一礼してみせた。
「皆さんの自己紹介を聞かせていただきたいわ。せっかくここに集まってきたのだから、何かの縁もあることでしょうし。ああでも、まずは私からご挨拶しなくちゃね」
 笑みを絶やさず、少女たちを見回す。
「私はラダ。この屋敷で暮らしてる魔女よ。森の魔女、といった方が通りがいいかしら。ラダという名前は本物ではないけれど、気にせずに呼んで頂戴」
 それから、黒くつややかな髪を無愛想に一まとめにした少女に歩み寄る。
「皆さんにも自己紹介していただきましょう。最初にここに到着した優秀なお嬢さん、まずは貴女からよ」
 指名された少女は、鋭い視線を周囲に向けてから口を開いた。
「セシルといいます。よろしく」
「あらあら、それだけ? 警戒心も必要だけろ、素っ気なさ過ぎるのも可愛くないわよ?」
 一言名乗っただけで黙りこんでしまった少女に魔女は軽く目を見張り、くすくすと笑い声を上げた。首を傾げて少女の顔を覗き込むが、黒髪の候補者は嫌そうに視線を外してしまう。
「気に障ったかしら? いいわ、いろんな性格の子がいるほうが私も面白いもの。それに、これから競う相手に手の内を見せたくない気持ちも、分からないではないわ。じゃあ、次は貴女ね」
「あ、はい、あの、アルダといいます。よ、よろしくお願いします!」
 薄い金髪を揺らした少女が、つっかえながら頭を下げた。それから一度二度と唇は動いたが結局言葉は続かず、もう一度慌てたように頭をさげてから一歩しりぞいてしまう。
 続く少女たちもそれぞれ、シェリー、ドナ、ロッティと名乗っただけで口を閉じた。周囲の様子を少し不安げに窺い、結局前の人間に倣った形だ。
「あらあら、寂しい自己紹介ね? でもそうね、魔女になりたいなら警戒心も必要、関心したわ」
 一歩下がってそれらを聞いていた魔女は、くすくすと小さく笑みをこぼし、それから最後に残った少女を見た。
「さあ、貴女で最後よ。貴女はだぁれ?」
 正面から見据えられ、少女は息を呑む。生暖かい、ねっとりとしたやわらかいものが背筋を逆撫でしていく。そんな、生理的な嫌悪感を催す感覚が身体を取り囲んだのだ。
 ぞわっと鳥肌を立てた少女は、反射的に魔女を見返した。
 彼女は、魔女に向ける視線を一層険しくしたまま、ゆっくりと唇を動かした。
 邪魔をするように、見えない何かが肩を這い上がり、喉もとを包み込んでいく。それをねじ伏せるように声を出す。
「マリア、といいます」
 よろしく、とはどうしても続かない。
 脂汗すら浮かべたマリアに、にっ、と一瞬だけ、おそらくは正面に立った人間にしか分からない笑みを浮かべた後、魔女は視線を逸らした。
 とたん、あっさりと身体を飲み込んでいた重みは消える。ただ感触は消えても、嫌悪感は残ったままだ。
「ああ、そうそう、あなたはさっき着いたばかりよね。私が送った招待状、ちゃんと持って来てる?」
 知らず肩で息をするマリアをもう一度みた魔女は、そう言って片手を出した。
 マリアは、その上に服の隠しから引っ張り出した、皺だらけの紙を置く。ちらりと一瞥した魔女が、あら、と目を見張る。
「これが届いたのは昨日? そう、よく間に合ったわね。優秀な子は好きよ。――さて、みんなの名前も分かったことだし、早速次の試験を始めましょうか」
 手紙を一握りして虚空に消した魔女は、候補者たちを見回した。それぞれの顔が、緊張と不安とで引き締まっていく。
「大丈夫、簡単なものだから。ほら、そこから地下に降りられるでしょう? 一番奥の部屋に行って、そこからランタンに灯を移して帰っていらっしゃい。それができれば合格よ。ね、簡単でしょ」
 魔女の声に合わせ羽陽に、部屋の奥、床の一角がきしみを上げた持ち上がった。
 同時に六人の少女の眼前に、小さなランタンが一つずつ姿を現す。
 それぞれが恐る恐る手を伸ばしたのを確認し、魔女は跳ね上げ扉への道を譲った。
「先着順に、なんて言わないから、戻ってこれたら合格よ。ただ、あんまり時間をかけられても困るから、明日の晩には締め切らせてもらうわ。それから、地下はいろいろな魔法が混じっているから、気をつけて」
 マリアは周囲を見回した。赤毛の少女と、金髪の少女、それぞれと目が合う。ロッティいう名の赤毛の少女はすっと目を逸らし、アルダと名乗った金髪の少女は、はにかむような笑みを口元に浮かべた。
 その視界を、黒髪の少女が横切る。
 セシルというその候補者は何のためららいもない足取りで部屋を横切り、跳ね上げられた入り口から床下を覗き込んでから。あっさりと地下へと姿を消した。
「思い切りのよさと度胸も必要だと思うわよ、こんな時には、ね」
 二の足を踏む残り五人を、魔女が笑いを含んだ声で急かす。テーブルにつき、どこからか現れた操り人形の掲げる盆から、湯気の立つカップを受け取っている。その様子からして、候補者の動向を楽しんでいるようだ。
 残りの少女たちも、不安そうな面持ちながら動き出す。
「ねえマリア、忘れていたわ。貴女、その邪魔な鞄と上着を脱いでおしまいなさいな。その隅にでも置いておけば、召使たちが片付けておくわ」
 マリアは、地下への入り口に並んだ少女たちの背と、盆を持って控える操り人形とを見比べた。目を眇め、僅かに逡巡したあと、着替えや身の回りの小物を詰め膨らんだ鞄と上着とを壁際に放った。

 
 ほかの候補者たちが消えた床下には、暗闇へと続く階段がまっすぐに伸びていた。
 最初に降りていったセシルどころか、すぐ前を行ったはずの候補者の背すらまったく見えない。
 ひやりとした石の壁に右手を添えて降りていけば、すぐに頭上の光は届かなくなった。前を見据えても後ろを振り返っても暗闇しか存在しない中を、マリアは慎重に歩を進めていく。
 足音が響きそうな固い床は、その感触に反して全く音を立てなかった。ほかの人間の足音どころか、自分のそれすら聞こえない。
 唇を噛み締め、マリアは黙々と歩き続けた。
 階段が50段を越えた頃、足元がぼんやりと明るくなった。80段を過ぎればもう暗闇とは呼べず、100段丁度で地下へとたどり着く。
 先に行った5人は、階段のすぐ脇で半ば呆然とした表情で立ち尽くしていた。
 彼女たちの肩越しに地下室を見回したマリアは、その理由を知る。ところどころに松明がゆれるだけの、冷えた薄暗い石造りの廊下は、階段と同じようにどこまでも伸びており、終わりを見通すことは出来なかった。等間隔で左右にずらりと並ぶ、同じ色と形をした扉が、さらにその空間の異様さを深めている。
『ランタンに灯を移して、上まで戻っていらっしゃい。灯は一番奥の部屋にあるわ。けど、その地下室は気まぐれだから、どこが一番奥か毎回変わってしまうの。注意してちょうだいね』
 天井から、魔女の少しくぐもった声が落ちてきた。それが、試験開始の合図となった。
 まず動いたのは、赤毛のロッティだった。
「一番向こうが一番奥っていうんじゃないなら、どこでも同じよね。運がよければ、すぐそこが目的の部屋って訳だし」
 身近な扉の前に立った少女は唇を片方吊り上げて不敵に笑い、そのまま躊躇いなく扉を引きあけ、中へと入っていった。
『そうそう、言い忘れていたけれど、途中での棄権も構いませんよ。ただ、自力で上まで上がってこれたら、ということになるから、気をつけてね』
 パタンと軽い音を立てて扉が閉じた直後、楽しげな魔女の声が振ってきた。
 少しの違和感と、言葉に表せない不安感とが背筋を駆け上り、マリアは無言のままロッティが消えたばかりの扉に飛びつく。
 恐る恐る引き開けた向こうに広がるのは、桃色の壁紙も鮮やかな、ぬいぐるみの並んだ子供部屋だった。けれど、先ほどちらりと目に入った部屋は、書斎のような造りの明るい静かな部屋だったはずだ。
 部屋には踏み込まず、マリアはその中に視線を走らせる。窓のないその室内に、出入り口はこの扉一つしかない。それなのに、どこに隠れる場所もない部屋の中に、ロッティの姿を見つけることは出来なかった。
「なるほどね。どこに繋がっているか分からない扉か。こっちからあけても、向こうからあけても同じ。一旦閉じてしまったら、もう一度この廊下に戻ってこられるかどうかも分からないというわけね」
 ぞっと背筋を凍らせたマリアの横で、同じく室内を覗き込んできたセシルが呟く。
「コレくらい自由に出入りできて当然、ってことかしら。まあいいわ、ここに突っ立っていても始まらないし。――お先に失礼」
 そういうと、彼女はさっさとマリアの後ろをすり抜け、二つ向こうの扉を引き開けた。止める間もなく、その中に消えていく。
 マリアは引き開けていた扉をそっと戻し、廊下を振り返った。そこにはまだ、三人の候補者たちが、青ざめた顔で立っている、
「ど、どうしましょう……?」
 アルダが、泣きそうな声で誰にともなく呟いた。
「どうするっていってもね、あの子のいう通り、乗るか反るかしかないでしょう」 
 涙を溜めた双眸で見つめられ、マリアは小さく肩をすくめる。
「私は脱落するつもりないから、行く事にするわ。それじゃね」
 強張った表情を隠すように背をむけて、マリアは足早に廊下の奥に向けて歩き始めた。